絵金 伝

芝居屏風絵

絵金(えきん)
1812年 - 1876年(明治9)

幕末の絵師。絵金は絵師金蔵を略したものです。

おどろおどろしくも妖しい、迫力あるその絵は、独特の世界を持っています。

1812年、高知城下新市町(高知市)に髪結いの子として生まれる。幼少時から画才があり、藩お抱えの絵師に師事し狩野派の画風を学びます。

1829年、18歳の時に藩主山内侯息女徳姫の駕篭(かご)かきという名目で供に加えられ、江戸にのぼります。その江戸で本格的に狩野派を学び、3年後帰国。家老桐間家のお抱え絵師となり、林洞意を名乗ります。

しかし、ほどなくして彼の才能への嫉妬や反感からか狩野探幽の偽絵を描いたとした汚名での極刑を言い渡されます。(絵金が探幽の絵を手本として描いた絵を、彼の元に出入りしていた画商が無断で持ち出し、偽の署名落款をつけ売ろうとしたことが始まりだとも言われています)そして、絵金は身分を失い、狩野派を破門、城下を追放されてしまいます。

その後は、詳しいことは不明ですが上方で芝居の小屋者として過ごしていたとも言われています。

そして、その後は町絵師として活躍。その歌舞伎を題材とした芝居絵は庶民に愛されました。

晩年は伯母の住む赤岡に身を置きました。そして夏の景物として描いた絵が、芝居屏風絵の始まりだとされています。

1869年、58歳の頃弘瀬姓を名乗る。その後中風を患い右手の自由を失い、それからは左手で描き続け、生涯に多くの作品を遺しました。

1876(明治9)年、65歳で没。

絵金が晩年を過ごした赤岡町では、毎年7月中旬の土、日の晩に「絵金祭り」が行われます。ろうそくの灯りに照らされた絵は、なんとも妖しい雰囲気を漂わせます。また、香我美町の絵金資料館には白描を中心とする作品が展示されています。

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