岩崎弥之助 伝

岩崎 弥之助(いわさき やのすけ)
嘉永4年(1851年) - 明治41年(1908年)

実業家。三菱財閥の2代目総帥。第4代日本銀行総裁も務める。三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の弟。

嘉永4年1月8日、土佐国安芸郡井ノ口村(現:高知県安芸市)に岩崎弥次郎の次男として生まれる。
藩校や大坂で漢学を学び、明治5年にはアメリカに留学をした。
兄である弥太郎の片腕として事業の助けをするとともに、2代目総帥として銀行・倉庫・地所・造船などの事業を興すなど、三菱の経営を多角化に努めた。
その後、三菱の総帥を弥太郎の長男であり甥の岩崎久弥に譲る。
明治29年(1896年)に、第4代日本銀行総裁となる。

妻である早苗は後藤象二郎の長女で、弥之助は早苗との間に3男1女をもうける。
長男である小弥太は三菱の第4代総帥に、次男である俊弥は旭硝子の創業者となった。三男である輝弥は分家して、子安農園の経営にあたった。

弥之助は、学問を好み、古典籍や書画・茶道具・刀剣などの古美術品を多数収集するなど、蔵書家・美術収集家としてもその名を知られていた。
弥之助の収集品は長男の小弥太に引き継がれ、1940年に小弥太の創設した財団法人静嘉堂文庫に寄付された。この中には、国宝・重要文化財も多く含まれている。
所蔵品は昭和52年(1977年)から一般公開され、静嘉堂文庫美術館に展示されています。

明治31年(1898年)に日本銀行総裁を辞任。
明治41年(1908年)、病のため58歳で没す。

⇒岩崎弥太郎についてはこちらをご参照下さい。